大判例

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仙台高等裁判所秋田支部 昭和43年(ネ)83号 判決

控訴人

株式会社

秋田相互銀行

代理人

和田良一

金山忠弘

大下慶郎

青山周

美勢晃一

被控訴人

荻原輝男

代理人

金野繁

二葉宏夫

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決中被控訴人に関する部分を取り消す。被控訴人の申請を却下する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。〈以下略〉

理由

第一、控訴銀行は、転勤とか異動の命令は労働契約にともなう使用者の指図、指示にすぎず、法律行為でないから、民事裁判においてその効力を争うことはできない旨主張する。しかし、一般に労働契約においては、特別の合意のないかぎり、労働者が自己の提供する労働力の使用を包括的に使用者に委ねるものであり、使用者は、この契約上の権限にもとづき労働者の給付すべき具体的労働の種類、態様、場所等を個別的に決定し又はその変更を命じうるのであるが、労働の場所は、それが実際上労働者の生活関係に重大な影響を及ぼす労働条件であることにかんがみると、賃金と並んで労働契約の内容をなすものというべきであるから、右労働場所の変更をきたす転勤命令を、使用者のたんなる事実上の指示ないし指揮命令の関係と同視することはできず、当該労働契約の内容に変動を生ぜしめる形成的意思表示であると解するのが相当である。したがつて、かような転勤命令の効力の有無は当然民事訴訟において争いうるものであり、それが不当労働行為等の理由により無効である場合には、命令先の新任地において労働する義務のないこともしくは旧任地を労働場所とする雇傭関係が存在することを定める趣旨において、訴訟上その転勤命令の効力停止を求めることもできるものと解される。よつて控訴銀行の前記主張は採用しない。

第二、被控訴人が相互銀行業を営む控訴銀行の昭和支店に勤務していたところ、昭和四一年八月一六日同支店から横堀支店への転勤を命じられたことは当事者間に争いがない。被控訴人は、右転勤命令が不当労働行為であり、しからずとしても人事権の濫用ないし公序良俗違反であると主張するので、以下右命令の効力について判断する。

一、本件転勤命令の経緯及び理由

(一)  〈証拠〉を綜合すれば控訴銀行は、秋田市にある本店のほか秋田県内一円に三三支店、青森、岩手、山形の隣接三県に五支店を有し、従業員総数約八〇〇名であるが、その就業規則第六条に「会社は業務上の都合で職員の転勤又は係替えを命ずることがある。この場合職員は正当の理由がなければこれを拒むことができない。」との規定があり、従来これにもとづいて例年二月、四月、八月の三回にわたり、欠員の補充、業務の拡張、適性の発見、職場の人間関係の改善等の観点から、原則として同一店に三年程度勤務した従業員を対象として定期異動が行われており、本件転勤命令も昭和四一年八月に当時の全従業員七八九名中三五名について行われた右定期異動の一環であること、被控訴人は昭和三三年四月高校卒業後控訴銀行に入行し、昭和三八年八月以来昭和支店(秋田県南秋田郡昭和町所在)に勤務していたもので、昭和四一年八月には一応異動時期が到来するうえ、かねてより同支店の小助川支店長との関係が円満を欠き同支店長から転出方を上申されていたため、控訴銀行の人事部では被控訴人を同年八月の定期異動の際の異動対象者として予定していたところ、たまたま同年七月一八日横堀支店(秋田県雄勝郡雄勝町横堀所在)の得意先係であつた繩田屋達彦が労組専従に就任したことにともない、同支店から年令、担務歴、職務遂行能力等において同人と同程度の後任者の補充を要請してきたので、被控訴人が繩田屋と年令、入行時期が同じで、両名とも入行来日掛の集金を主体とした得意先係を約八年間にわたつて担当し、職務遂行能力も普通程度と評価されていることなどの理由により、被控訴人を繩田屋の後任として横堀支店に転勤させたこと、右転勤は通例どおり発令に先だち同年八月一一日被控訴人に内示され、同月一六日発令されたこと、以上の事実が疏明され、右事実によれば、本件転勤命令は一応前記就業規則の定める「業務上の都合」にもとづいて発せられたものであるということができる。

(二)  しかしながら、右の異動理由について更に検討してみると、〈証拠略〉によれば、被控訴人と繩田屋が入行以来得意先係として主に担当してきた日掛の集金は銀行業務のうちでも最も単純・初歩的な職務で、決して専門的知識や長期間の経験を必要とするものではなく、現に控訴銀行では日掛の集金を新入行員の教育や訓練のために行わせていること、繩田屋は昭和四二年八月に労組の専従解除後昭和支店において内勤部門たる出納事務を担当しており、被控訴人のみが得意先係以外の職務に不向きであつたとみられないこと、控訴銀行の昭和四一年度からの三年計画によると、横堀支店はむしろ縮小の方向にあり、昭和四二年四月に定員が一名減となつたこと、が疏明されるのであるから、控訴銀行が本件異動の主たる理由として繩田屋と被控訴人の担務歴の特異性及び共通性を強調し、繩田屋の後任としては被控訴人をあてる以外になかつたかのごとくいうことは、たやすく首肯することができない。また、前段(一)の認定によれば、被控訴人が本件定期異動の異動対象者にあげられたこと自体にはそれ相応の理由がないわけではないが、他方、〈証拠〉に徴すると、三年ごとの異動ということは必ずしも絶対的なものではなく、それ以上の期間同一店に勤務している事例が少なくないし、昭和支店における小助川支店長との人間関係の改善という点も、同支店長が被控訴人と同日の異動により他に転出していることからみて異動原案作成当時すでに解消が見込まれていたものと推認されるので、後記のごとき当時の被控訴人の個人事情を考慮するとき、これを斟酌して同人の転出期を多少猶予してやる等の措置もとれないほどに差しせまつた業務上の必要性があつたものとは認めがたい。

二、控訴銀行における労使関係と被控訴人の活動

(一)  控訴銀行においては昭和三六年一二月三日労組が結成され、間もなく年末ボーナスの増額や労働協約の締結等の諸要求を掲げて闘争体制に入り、ボーナスについては2.5箇月分プラス七、五〇〇円の支給で妥結し、昭和三七年一月二九日労働協約が締結されたこと、続いて労組は、同三七年三月からのいわゆる春闘において賃上げを要求してストライキなどを行い、同年四月二二日秋田地方労働委員会の斡旋により三、二〇五円の賃上げで妥結したこと、右春闘の期間中である同年四月一一日頃控訴銀行の一部従業員により従組が結成されたこと、その後労組は、昭和三九年三月に女子従業員の転勤命令撤回を要求したのをはじめ、同四〇年一月には労働協約の更新を、同年六月には退職金諸手当の増額を要求して運動したことはいずれも当事者間に争いがなく、〈証拠〉を綜合すると、次のような事実を一応認めることができる。

労組は結成当初従業員のほとんど全部がその組合員となり、昭和三七年一月に締結した労働協約ではユニオン・ショップ協定や唯一交渉団体協定等も結ばれたが、同年四月の春闘中に労組の闘争方針に批判的な四〇名位の従業員により従組が結成されてからは、新入行員が従組に加入したほか、労組員のうちからも労組を脱退して従組に移る者が増え、とくに同年夏労組員一一八名を含む一八〇名余の大人事異動が行われた際に大量の労組員が相次いで脱退したことなどのため、昭和三八年春頃にはすでに労組と従組の勢力関係が逆転し、本件異動当時においては、管理職を除く全従業員七一八名中従組員が六三六名であつたのに対し労組員はわずか五一名に減少していたこと、この二つの組合のうち、従組は労使の協調体制を確立して生産性の向上と利潤の分配に与ることを目的とする穏健な組合であるのに対し、労組は結成と同時に全国相互銀行従業員組合連合会(全相銀連)及び秋田県労働組合会議に加盟し、労働者の権利を守るために闘うという基本姿勢のもとに、昭和三七年の春闘の際には、上部団体等の支援を得て相当に緊迫した団体交渉を繰りかえし、これと併行して超過勤務及び宿日直の拒否、リボン闘争、一斉ランチ闘争、時限スト、本店等での約四日間に及ぶ全日スト、ピケットによる入行阻止等を行い、昭和三八年五月にも賃上げを要求して争議体制をとり、更に、昭和四一年三月一日賃上げや人事問題等に関して争議通告を発してからは、労組執行部役員がいわゆる指名ストを反覆し、現在にいたるも右争議体制が解かれていないこと、このような争議行為ばかりでなく、労組の日常活動もきわめて活発であり、毎年賃上げその他の経済的要求をしてきたほか、例えば(1)社長や常務が反組合的発言をしたとか、あるいは支店長らが女子従業員に対する結婚退職の強制・生理休暇の制限、労組員に対する不当な差別的処遇・労組からの脱退勧誘等をしたとして、その都度労組機関紙等においてこれを糾弾したり、当該支店長に抗議文の提出、謝罪要求その他の抗議行動をし、(2)労組の本部が秋田市にあるところから、その執行部役員に選出された者を秋田市内店に勤務させることを一貫して要求し、(3)昭和三九年八月土崎支店二田出張所で発生した現金不足事故について控訴銀行が労組所属の関係従業員である佐藤和子(現在被控訴人の妻)に不足額を弁償させた措置を不当であるとしてこれに抗議するとともに、右抗議行為に関連して銀行側が当時の労組書記長高山隆に対してなした懲戒処分の撤回を要求し、(4)控訴銀行が昇給、賞与時に行う各従業員の実績査定(メリット)が不当、不合理で、労組の活動家にのみ不利益な査定をしていることを教宣し、(5)従組結成後の人事異動がつねに従組のみを優遇し、労組の弱体化をはかるものであると非難し、昭和四〇年八月前記高山隆が労組専従から船川支店に復帰を命じられた際には夫婦別居(当時同人の妻は酒田市に居住)を強いる不当転勤であるとしてその撤回運動を展開するなどの諸活動を続け、とくに従組の結成後は、控訴銀行が従組と結託して労組の破壊、弾圧をはかつているとの判断から、銀行側と対決する態度を強めてきたこと、以上のような事実が疏明される。

(二)  ところで、被控訴人が昭和三六年一二月労組結成と同時にその象潟分会長となり、同三七年組合専従の執行委員、同三八年副委員長、同四〇年以降執行委員の地位にあることは当事者間に争いがなく、右事実に〈証拠〉を合わせると、被控訴人は労組結成の際その結成準備委員となつて活躍し、結成と同時にこれに加入し、象潟分会長を経て昭和三七年八月には自ら進んで組合専従の執行委員となつたこと、右専従就任当時は従組の結成後間もなくで前記のとおり労組員の大量脱退が続出する等困難な状況下にあつたので、被控訴人は唯一人の専従役員として連日各地に奔走し、オルグ活動、教宣活動に従事するとともに、組合活動全般を積極的に計画、指導したこと、昭和三八年八月専従を解除され昭和支店勤務となつた後も、本部役員として銀行側と交渉したり、オルグ活動のため職場離脱の申請をして拒否されたりしたことがあり、昭和四一年三月の争議通告後は度々指名ストに参加しているほか、支店長に対しメリット問題等に関して労働者の権利を強く主張する等活発に組合運動を行なつていたことが疏明される。のみならず、控訴銀行の従業員間では、後記のとおり労組に加入していることが将来のために不利であるとの考え方がかなり一般的であり、大多数の労組員が相次いで脱退していつたにもかかわらず、被控訴人が依然として少数化した労組に留まり、その執行部役員として活動していることは、それ自体同人が熱心な組合活動家であることを如実に物語るものというべきである。

また、被控訴人は昭和四一年九月一一日秋田市内土崎支店勤務の佐藤和子と結婚したものであるが、〈証拠〉によれば、右和子も昭和三七年一月労組に加入し、その後労組の婦人部結成運動に参加して昭和三八年三月婦人部の書記長となり、以来婦人部の常任幹事と土崎支店の分会長をしていること、同女は、昭和三九年八月土崎支店二田出張所において発生した前記現金不足事故につき弁償責任を負わされた際、労組を通じその措置の不当を訴え、執行部役員とともに銀行側と交渉し、更に昭和四一年三月土崎支店の普通預金係から庶務に配置替えとなり、お茶汲みなどを命じられたことに対しても、組合運動を理由とする不当労働行為であるとして労組から同支店長に対し抗議や謝罪要求をしたことが一応認められ、これらの事実に前記のごとき労組の状態を合わせ考えると、和子もまた数少ない女子労組員のなかで中心的な存在であつたことを推認するに十分である。

(三)  他方、以上のような労組の活動に対する控訴銀行側の態度についてみるのに、〈証拠〉を綜合すれば、昭和三七年の春闘の際労組が「全相銀連秋田相互銀行労働組合」の名で賃上要求書を提出したところ、控訴銀行は「全相銀連」なる表示の削除を要求して右賃上要求書の受理を拒否したこと、控訴銀行においては、前記労働協約の締結後労組が時間内に頻繁に執行委員会を開くのを禁止できないことや、同協約中の執行委員の異動に関するいわゆる同意条項等について幹部間に批判的意見が強かつたため、昭和四〇年一月の協約期間満了に当り、労組側の要請を斥けてその更新を拒絶する一方、従組の結成等客観情勢が変化したことを理由に旧協約に比して組合活動を制約する内容の新協約の締結を提唱し、労組の反対により結局現在まで組合専従者及び組合事務所に関する個別協定が結ばれたのみであること、労組の結成後、のちに業務部長に昇進した某支店長は支店の各従業員についてその思想傾向、組合意識の強弱、労組脱退の可能性の有無等を調査した形跡があり、また二、三の支店長又は支店長代理が労組所属の従業員に対し労組からの脱退を勧誘した事実があること、控訴銀行における従業員の昇格、昇給は本人の能力及び勤務実績によることとなつているが、結果的には、労組を脱退して従組に加入した者もしくは中立の非労組員の方が労組残留者よりも早く昇格、昇進しており、また、転勤により夫婦又は家族との別居をきたした者のうちで労組からの脱退後にこれが解消された例も少なくないこと、これらのことから従業員間にはいつまでも労組に加入していると従組員よりも不利益を受けるという考え方が一般化し、従組側の盛んな組織拡大工作と相まつて労組からの脱退が続出したものであり、この間の事情は銀行側でも認識していたこと、控訴銀行と従組との間には昭和四〇年一月以来生産性向上に関連する事項を協議して相互の意思疎通をはかり理解を深めることを目的とした生産性協議会なる機関が設けられ、これに出席する従組員の旅費その他の経費を銀行側において負担するなどきわめて協調的関係が維持されているのに対し、労組との関係はますます悪化し、ことに人事問題に関しては、銀行側が経営権、人事権を主張して、労組の要求する団体交渉の対象とすることに一切応ぜず、前記高山隆については昭和四一年四月夫婦別居解消のため象潟支店への転勤が認められたけれども、労組執行部役員の秋田市集中等の要求は実現をみないままとなつていること(従組の本部役員は全部秋田市内店勤務である)などの事実が疏明される。

以上(一)ないし(三)認定の各事実を綜合して考察すれば、控訴銀行としては、少数尖鋭化する労組よりも従業員の大多数を擁する穏健な従組の方が好ましいとの見地から、労組に比して従組を優遇し、労組の活動を抑えていく意向であつたことは容易に窺えるところであり、したがつて、労組の活動家である被控訴人及び和子が銀行側にとつて必ずしも好ましくない従業員の一人として注目されていたであろうことは推認するに難くない。

三、本件転勤命令により被控訴人の被る不利益と控訴銀行の措置

(一)  〈証拠〉を綜合すると、被控訴人は秋田市出身で実家も同市にあり、以前は昭和町に下宿して昭和支店に勤務していたが、昭和四一年五月同じ秋田市出身で土崎支店勤務の佐藤和子と婚約し、同年九月に挙式することとなり、結婚後は秋田市内に住居を構えて共稼ぎをする予定であつたので、同年七月中旬か遅くも同月二五日頃昭和支店長にその旨を申し出て秋田市内支店への転勤を希望したこと、しかし、この希望は容れられず、本件転勤命令が発せられたが、被控訴人と和子は同年九月一一日婚姻し、被控訴人は横堀に下宿し、和子は秋田市内のアパートに単身居住して、別居しながら共稼ぎを続けたこと、昭和町は秋田市に比較的近く、同市からの通勤も可能であるのに反し、横堀は山形県境に近い農村であり、秋田市まで普通列車で二時間半余、急行列車で約二時間もかかる(これは顕著な事実である)ので、被控訴人は結婚直後から毎週々末に和子の許に帰るだけという別居生活を余儀なくされ、精神的、肉体的、経済的に非常な苦痛を受けたことが一応認められ、この苦痛が転勤にともなう通常の不利益にすぎないとの控訴銀行の主張は社会通念に照らし採用しがたい。

また、労組執行委員としての被控訴人の組合活動が労組本部及び控訴銀行本店のある秋田市を中心として行われることは当然であるところ、横堀の右のごとき地理的条件からして、秋田市での執行委員会への出席その他同人の組合活動が時間的、経済的な面で昭和支店勤務当時よりも大幅に制約される結果となつたことは弁論の全趣旨に徴し明らかである。

(二)  ところで、〈証拠〉を綜合すると、控訴銀行では、人事異動に当り、従来から業務上の必要性のほか本人の希望にもとづく個人事情も可能なかぎり斟酌することとしており、過去においては、妻の出産を理由に発令を延期したり、秋田市内の夜学に通学中であることを考慮して市外支店への転勤を取り消したり、親の扶養や看病のため親許に転勤させたりした例があり、昭和四一年八月の本件異動に際しても、すでに異動期にありながら、家族を扶養する必要があるとか、病弱であるとかの個人事情により異動対象から外された者が少なからず存在する一方、個人事情を斟酌されて布望どおり転勤した者としては、田沢湖支店の斎藤一友が両親を看病する必要から実家のある土崎支店に、十文字支店の佐藤義雄が大館市に単身別居中の病弱な妻と同居するため比内支店に、弘前支店の佐藤弘が定年前に郷里で再就職先を捜したいとの理由により酒田支店にそれぞれ転勤を認められたこと、しかして、右斎藤一友ら三名はいずれも従組員もしくは中立の非労組員であること、これに対し被控訴人については、異動原案作成中である昭和四一年七月下旬前記婚約の事実とこれにともなう秋田市内支店への転勤布望が控訴銀行の人事当局に伝えられ、もし被控訴人を横堀に転勤させれば同人夫婦が結婚直後から別居せざるをえなくなることは人事当局でも十分予想したけれども、転勤による夫婦別居例はこれまでもあつたこと、控訴銀行内における夫婦共稼ぎは被控訴人の場合が初めてであり、銀行としては情実防止という点から好ましくないと考えたこと並びに将来別居を解消する機会がないわけでもないことなどの理由から、本件転勤により夫婦別居をきたしてもやむをえないとして、結局被控訴人の個人事情を斟酌せずに発令したことが一応認められる。

もつとも、右の点につき、控訴銀行は、被控訴人の個人事情を全く無視したわけではなく、同人の結婚後に妻を同居可能な支店に転勤させることを考慮していたと主張し、前掲証人鎌田勝郎及び同栗林早二も同旨の供述をするが、〈証拠〉によれば、本件転勤命令の内示後労組は直ちにこれに対する反対運動を始め、昭和四一年八月一五日控訴銀行との交渉が行われたが、銀行側が夫婦別居の問題は本人同士が考えればよいことで銀行側で考慮する必要はないとの態度をとつたため物別れとなり、その後も労組が抗議行動を続けるとともに再三団体交渉を要求した結果、被控訴人の結婚後である同年九月三〇日にいたり、ようやく「将来の問題として具体的に検討する。」ということが労使間に確認されるにいたつたけれども、銀行側からは妻の転勤その他検討の対象となるような別居解消策についてはなんの腹案も予定も示されないままに終り、現在にいたるまで適当な転勤先がないなどの理由により妻を転勤させていないことが疏明されるので、これに前記のごとき当時の労使関係等を合わせ考えると、控訴銀行が被控訴人の夫婦別居解消についてどの程度、誠意をもつて積極的に対処するつもりであつたかは疑問としなければならない(前記高山隆の転勤例があることのみをもつて、被控訴人に対し銀行側が善処するであろうことを無条件で信頼せよと要求するのは酷である)。

四、不当労働行為の成否

そこで、以上の認定にもとづき、本件転勤命令がいかなる事由を主たる動機としてなされたものであるかを考察するのに、右命令が控訴銀行の業務上の都合のみから発せられたものとしてはその合理性と必要性がとぼしいことは前認定のとおりであり、これに対し、被控訴人は、右命令により自らの組合活動に不便をきたしたほか、なによりも、近く結婚を予定し秋田市内に居住して共稼ぎをする必要から、その事情を具申して秋田市内支店勤務を希望したのに、挙式を三週間に控えた時期にいたり、かえつて従来の勤務先よりもはるかに遠隔地である横堀に突然転勤を命じられ、結婚と同時に別居生活を余儀なくされたものであつて、その苦痛ないし不利益が何人の立場からも堪えがたいものであることは社会通念上容易に理解しうるところである(同居しようとすれば、夫婦の一方が退職するか、夫婦とも通勤可能な中間点に住居を構えるかの二途いずれかしかないが、前者は実際上女子の結婚退職を強いることになりかねないし、後者は、被控訴人夫婦がともに秋田市出身で実家も同市内にあることなどを斟酌すれば、結婚後の新生活の本拠を秋田市に置いたこともあながち無理からぬものがあり、これを同人らの身勝手であるとはいえない)。したがつて、かような被控訴人の事情を認識していた控訴銀行の人事当局者としては、可能なかぎり、かかる苦痛ないし不利益を緩和するよう配慮すべきが当然であり、先に認定した他の個人事情の斟酌例と比較しても、被控訴人の事情のみが願慮するに値いしないほど些々たるものであつたとは認めがたい。しかも、本件のように夫婦が同一企業に勤務している場合にはそうでない場合よりも右のごとき人事上の配慮をしやすい面があるのであり、結婚直後から夫婦別居を余儀なくされる事例はさほど頻発するものでないことに思いをいたすならば、本件の場合にも、控訴銀行としては今少しく寛容かつ柔軟な措置をとることが十分期待されてしかるべきであつたということができる。

以上の点に加え、前記二、に認定した控訴銀行における労使関係、労組及び被控訴人の活動状況、これに対する銀行側の態度等を綜合すれば、本件転勤命令は、ひつきよう、労組の存在を快しとしない控訴銀行が、被控訴人の前記のごとき不利益の発生を十分認識しながら、同人及び和子が労組の活動家ないし組合員であることに対する反情を主たる動機としてなした差別的取扱いであると推認するのが相当である。

したがつて、右転勤命令は労働組合法第七条第一号の不当労働行為として無効であるから、他に格別の主張のないかぎり、被控訴人の雇傭契約上の勤務場所は昭和支店であつて、横堀支店に勤務する義務はないものというべきである。

第三、進んで保全の必要性について検討する。

〈証拠〉によれば、本件転勤命令を受けた被控訴人は、これに従わない場合に解雇されるにいたることを避けるため、控訴銀行に対し右命令を承認するものではないことを留保したうえ横堀支店に赴任し、結婚後は前記のごとき別居生活を続けていたこと、そして、昭和四二年三月秋田地方裁判所に本件仮処分を申請し、同四三年八月勝訴の判決を受けた(この事実は記録上明らかである)ので、さつそく旧勤務先である昭和支店に出勤したところ、控訴銀行側では、右判決は控訴したから勤務先はまだ昭和支店と決つたわけではないとして、被控訴人に机も仕事も与えず、その後も給料の支払いその他身分上のことはすべて横堀支店の従業員として取り扱うとの態度を変えなかつたので、被控訴人は、労組を通じ同年九月二日付内容証明郵便により、昭和支店での労務の提供を受領するよう控訴銀行に催告し、以来横堀の下宿先を引き払つて秋田市で妻及び同年一月二七日誕生の長子と同居し、同銀行には出勤していないことが疎明される。したがつて、被控訴人の前記別居生活は現在一応解消され、組合運動に従事することも可能ではあるが、この状態がきわめて不安定なものであることは右の事実関係により明らかであるから、その不安定を除去するために同人の勤務場所が前記のとおりであることを仮に定める必要性があるものというべきである。

第四、してみると、右のごとき仮の地位を定める趣旨において本件転勤命令の効力停止を求める本件仮処分申請は理由があり、これを認容した原判決は相当である。よつて、本件控訴を棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法第九五条、 第八九条を適用して、主文のとおり判決する。(恒次重義 神田正夫 佐藤繁)

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